2.大学時代

こんにちは、かねコーチです!
この記事では、

「かねコーチとは何者?」

という声にお応えして、自己開示させていただきます。

【パート1】幼少期から青年期
【パート2】大学から大学院時代
【パート3】会社員時代

の3つの時期に分けて、3本の記事にまとめています。
今回は、【パート2】大学から大学院時代。

感情にフォーカスして、徹底的に自己分析をしてみました。

まずは、ぜひ僕のことを知っていただき、その他の発信内容もご覧いただけると嬉しいです。

■現在のプロフィール

  • 本名:兼若 勇基(かねわか ゆうき)
  • 出身:大阪府四條畷市
    ・大阪の中では比較的小さく緑の多いベッドタウン
    ・小中学校の同級生東修平が全国最年少で市長をつとめる市
    https://an-life.jp/article/972
  • 生年月日:1988年6月15日
  • 血液型:B型
  • 住まい:大阪の北浜周辺
  • 身長:172cm
  • 体重:68kg(2019年10月現在)
    ・2019年1月現在で83kgだった体重が、8ヶ月で15kgの減量
  • 仕事:コーチ/コンサルタント/YouTuber
    ・コーチとしては、経営者/ビジネスパーソン向けに主にキャリア設計と事業計画策定を支援するパーソナルコーチングを実施
     パーソナルコーチングサービスページ:http://kane-lifedesign.com/coaching/
    ・コンサルタントとしては、収益化を目指すコーチ向けに事業立ち上げのパーソナルコンサルティングを実施
     パーソナルコンサルティング サービスページ:http://kane-lifedesign.com/coach-consulting/
    ・YouTuberとしては、2020年4月から発信を本格化。
     「かねコーチTV」:https://www.youtube.com/channel/UCZ72WzXGLdDQOkbYSqrem2g
  • 学歴:現在MBA取得中
    ・四條畷市立忍ヶ丘小学校
    ・四條畷市立四條畷中学校
    ・大阪府立大手前高校 理数科
    ・大阪大学工学部 地球総合工学科
    ・大阪大学大学院 工学研究科 地球総合工学専攻 船舶海洋工学コース
    ・グロービス経営大学院(MBA)在学中
  • 好きなスポーツ:ラグビー/水球
    ・ラグビーは幼稚園〜中学生まで12年間。ポジションがバックスで主にウイング/フルバック
    ・水球は大学4年間。ポジションはフローター
  • 趣味:筋トレ、旅、読書
    ①筋トレ
    ・2019年1月より本格的に開始
    ・週4回のウエイトトレーニングを継続中
    ・2019年ベストボディジャパン高知龍馬大会に出場
    ・2020年ベストボディジャパン徳島大会ファイナリスト

    ②旅
    ・大学院を休学し2013年に世界一周
    ・好きな国はノルウェー/ラオス/イスラエル
    ・自然と調和した街並/人の温かさを感じられる場所が好き

    ③読書
    ・読書は、大学時代から年間50冊のビジネス書の読書を開始
    ・経営コンサル時代は、年間300冊のビジネス書の多読
    ・現在は年間900冊近くの読書

■過去の全体傾向

自身の過去について、ライフラインチャートを使って振り返ります

かねコーチのライフラインチャート

総じて、目標達成への没頭すること、他人から承認されることで満たされる人生

努力をして何か成果を出すことで満たされてきた
好きでないこと情熱を感じられないことに関しては、うまくやれない

他人からの承認を求める傾向が高い
チーム内で利己的になって和を乱したり
逆に評価されようと人の目を気にしすぎて、本当に自分がやりたいことをやれないことも
やりたいことがやれないと成果が出ず、しだいにモチベーションが下がることが多々

最近はようやく、他人からの評価よりも自分がやりたいことをやり抜き、社会に貢献したい欲求が強まってきた

【パート1】幼少期から青年期はこちら↓

【パート2】大学から大学院時代

(1)大学時代

大阪大学工学部地球総合工学科へ進学
この学科では1年次の成績を基に、2年次に建築/船舶/社会基盤の3つのコースに振り分けられる

1年生は真面目に勉学に励んだ
2年生で成績順でコース分け時の選択肢を増やすのが目的
結果成績上位20%以内に入り、船舶海洋工学コースを選択
理由は、一番楽に単位が取れて就職もできそうだから
部活の先輩に相談すると、「ここが楽だよ」と言われそのまま従った

高校まであった学問への好奇心は完全に失われていた
ただただ単位を取りに行く大学生活がここから始まった
これまでの自分なら、もっと真剣に知的好奇心が揺さぶられるコースを選んでいたはず
しかし、大学受験で失敗した自分は、思い通り生きる人生を半ば諦めていた

http://www.naoe.eng.osaka-u.ac.jp/

2年生以降は船舶の勉強で苦しんだ時代

「頑張って勉強すれば船にも興味が出てくるはず!」と自分を信じこませ。テスト勉強に打ち込んだ
しかし、やっぱり違う/やりたくないという感情が抜けない
自分を押し殺して勉強しようとしても、徐々に自分の居場所はここじゃない!という感覚が込み上げてくる

3年生時には船関係の企業へ工場見学があった
しかし、その光景を見てさらに意欲がなくなった
工場見学では田舎で作業服を着て、暑い中でまったりと仕事をしている姿を見た
直感的に「ここで仕事はしたくない」と感じた
それでも船舶を学んでいる自分は、こういう企業に入って一生田舎の工場で働き続けなければいけないのか?

そもそも日本の船舶業界は斜陽産業で、中国、韓国にもうコストで勝てる見込みがない
業界的に面白さを感じないのだ
そう思うと、ますます勉強への意欲を失っていった

授業の1/4は寝ており、テスト勉強にも身が入らない
いつしか学内の友人から「ふねけ」と呼ばれるようになっていた

https://cutt.ly/UeRgtMr

大学3年生からビジネス書の多読を開始
きっかけは、本田直之さん著の「レバレッジリーディング」という本
ビジネス書を読むことで人生が好転するのではないか?
と直感的に感じ、ビジネス書を読み漁るようになったのだ
7つの習慣、人を動かすなどの成功者になるための名著を読み漁った
年間50冊程度は読んだと思う

読んだ書籍の内容はメモにまとめ、そのメモを毎日見返しながら大学に通った
学内でやりたいことがない中、どうやってできる自分を取り戻すのか必死にもがいていた

部活は水泳部に入り、水球に没頭
これまでやってきたラグビーのパワフルさ、競泳で培ったスピードの両方が生きる競技だと思った
平日は毎朝5時半に電車に飛び乗り朝練
土日は土曜日は必ず練習があり、試合があれば土日も全部部活
ポジションはフローターという点を取るポジション

個人としては4年生まで完全なレギュラーには定着できず悔しい思いをした
チームとしてはインカレに出場を決めたが、貢献した感覚がないことが悔しかった

バイトは塾講師
4年間地元の京進スクール・ワン忍ヶ丘校で個別指導を行った
主に中学生/高校生を担当
相手に合わせて言葉を選んで丁寧に話せる、コミュニケーションスキルはここで身についたのだと思う

大学4年生からは京進時代の先輩が個別指導塾を開講するお手伝いを開始
大学受験部の責任者を務め、講師をしながら科目ごとの指導マニュアル作成を行った
経営に関する書籍を読み漁り、経営に関する助言もしていた
経営に興味があったのはこの頃からだったのか

大学4年時の論文ではめっちゃ苦労した
勉強において大学生活は本当に苦しかった
その中でここが最大の山場

ずっと一人で戦略を考えて勉強してきた経緯もあり、人に相談をするのが苦手だった
しかもこの頃は勉強に対して積極的でないから、相談する意欲すらもわかない
指導教官である助教授も積極的に論文指導する人ではなかった
むしろコミュニケーションが苦手なタイプ
最低限の打ち合わせしかしないまま研究を続けた
年末が近くなっても成果が出ず、失敗の連続
その上助教授へ成果報告せず、提出前ぎりぎりに状況を報告したところ、破門を言い渡される
教授に泣きつき、なんとか卒業はできた
今だからこそ冷静に振り返れるけれど、当時の自分は本当に不器用だったと思う

大学院はそのままの流れで、船舶海洋工学コースへの進学を決めた
進みたかったわけでは決してない
ただただ惰性だった
本当は京大に行きたい、環境学を学びたい思いはあった
院試のための資料は取り寄せたし、学内でも環境エネルギー学科の教授のもとも訪ねた
でも、勉強に対して意欲がない、頑張っても成果を出せないと感じている自分に、転籍に踏み切る勇気と自信はなかった
大学受験失敗で失った自信の影響は本当に大きかった

大学院入学前の大学4年の3月
高校の同窓会で、世界一周帰りの友人と遭遇
僕は食い入るように身を乗り出し、その話を聞いた

「世界一周に行きたい!」直感的にその思いが頭をよぎった

これまでは部活漬けで海外にすら行ったこともない人生
でも、「人生は一度きり」
このまま流されて人生を過ごしていたら、海外にさえ行かないまま自分の人生は終わるんじゃないか?

(2)大学院時代

そう思うといても立ってもいられなくなった
この日から僕の目標は、「大学院在学中に世界一周」になった
大学4年間で、初めて心がふるえた瞬間だった

大阪大学大学院 地球総合工学研究科 船舶海洋工学専攻へ進学

入学と同時に勉強そっちのけで、世界一周の情報収集を開始した
ブログも立ち上げた
旅のテーマ決めた
その名も「世界一周×エコライフ」
世界中の環境にやさしい取り組みをしている町を周り、様々な人の暮らしを知る旅
これまでやりたかった環境学を実地で学びながら、見たことのない海外を知れる
最高の旅になる!
毎日がワクワクだった

大学院2年目を休学することを決めた
1年目で授業で単位を取り、2年目は休学、3年目に戻って論文を書いて卒業というプラン
教授や親にも相談した
意外にあっさりと受け入れてもらい、休学して行くことが決定

今でも父親に言われた「自分の人生なんだから、好きにしなさい」
教授に言われた「休学は君の権利だから」
という言葉は鮮明に頭に残っている
普通だったら反対されてもおかしくないはず
寛大な家族と教授に感謝したい

2013年2月9日、世界一周へ出発
初海外での世界一周
最初の国フィリピンへ向かう飛行機での胸の高鳴りは今でも覚えている
東南アジア→中央アジア→アフリカ→ヨーロッパ→北米と周りに全27カ国を周遊した

スウェーデンのとある島
自然に囲まれて旅をするのは最高だった

スペインのサンセバスチャン
たまたま着いた日にお祭りをやっていた
人が笑顔で密に関わりあうことってすばらしい

ニューヨークのホスト宅
ヨーロッパ、米国の約4ヶ月はcouch surfingというサイトを利用して、無料で現地のホスト宅を泊まり歩いた

住人3人全員がヌーディスト
でも全ホストの中で一番やさしかった
人はみかけによらない

アメリカのthe wave
絶景に感動なんてしない僕だけど、ここだけはずっと心が震えていた

特に印象に残っているのはイスラエル
ひょんなことから無一文になってしまった
たまたま小さな村で、キャッシュカードに対応したATMがなくてお金が引き出せなかった

困っていると周りの人が声をかけてくれた
お金や食べものを恵んでもらい、ヒッチハイクで次の街へと移動した
まだ自分は人から何かを与えられないと生きていけないことに、不甲斐なさを感じた
もう24歳なのに、大学院を休学してふらふらして、まだ社会に出ていない
社会に対して、何の価値も出せていない
「早く社会に出て価値を発揮する人間になりたい」
そう強く感じた出来事だった

初めてヒッチハイクをしたことで、自分のタガが外れた感覚もあった
これまではヒッチハイクやがむしゃらに旅をする人のことを、正直かっこ悪いし自分はそんな風になりたくないと思っていた
でもヒッチハイクでそのタガが外れた
がむしゃらにやるからこそ人は共感して助けてくれるし、そんな生き方も悪くないと思った
むしろ自分が求めているのってそういう生き方なんじゃない?

http://inc.tabippo.net/

2019年11月1日、帰国
約9ヶ月の旅だった

世界一周を達成し、自由になんでもできる無敵の感覚を得たことで、何かしたくてたまらなかった感覚になった
旅中に出会った友人から誘われ、TABIPPOの活動に参加
これまで東京で1000人規模でやってきた旅のイベント
それを大阪で初開催、それも2,000人規模でやろうというもの
僕が務めたのは、2月の開催までの約3ヶ月間で2,400名の集客を行う責任者=広報統括だった

本来の統括の役割は、リーダーの育成、チーム活動を活発化などで組織全体で集客を行うこと
しかし、当時の自分はそんなに器用じゃなかった
自分が集客を本気でやって成果を出すことで、背中で見せようと考えた
誰よりも集客し、その方法をマニュアル化、全員の成果・進捗をグラフにし見える化することで士気をあげた
マニュアルを作る際は、営業系の書籍、仕組化に関する書籍を参考にし、それを自組織に応用した
書籍を実務に生かして成果を出す考え方はここで生まれたのだと思う

結果、自身は集客数第1位、TABIPPOとしても史上最速のイベント3日前のチケット完売となった
みんなの頑張りもすごく、背中で見せるリーダーの影響力を改めて感じた
旅前まで自信を失っていた僕にとって、ここでの成功は本当に弾みになった

就職活動は2014年の3月から本格的に開始
就職活動は2つのプライドとの戦いだった

1つ目のプライドは、「理系の大手企業に就職しなければならない」というプライド
理系で大学院まで進むと、大手企業から推薦で内定を得ることができる
そういった企業に進めば、40代で1,000万円の給与は固い
旅に出る前の自分であれば、安易にこちらに流れていたように思う

しかし、その思いは世界一周で消えていた
理由は「もっと自由に生きていい」と知ったから
旅では多様なキャリアを持つ日本人と出会ったし
世界各国では文化が異なり、様々な生き方があることを知った
その中で、「今までの延長でキャリアを選ばなければならない」という考えは、ものすごくちっぽけに感じられた

世界には日々暮らしていくのも苦しい人もいるし、貧困になっても助けてくれる社会制度もない国もたくさんある
でも自分は困ったら頼れる家族/友人もいるし、日本では生活保護などなんとでもなる制度がある
そう思うと、自分の直感を信じて好きなことをやろうと思ったのだ

2つ目のプライドは、「グローバルでかっこいい企業で働きたい」という憧れのようなプライド
当初はグローバルでかっこいいからと、商社を志望していた
でもかっこいいという感覚だけで、何かやりたいことがあるわけではなかった
しかしこの思いは選考に落ちるという形であっさりと終了
今までの自分ならここで自信を失っていたかもしれない
でもそんな感覚は全くなくて、ただただ本当に望んでいた場所ではなかったんだなと、達観して感じられた

こうやって2つのプライドを失ってからは、自分の素直な思いに気づけた
・中学時代に代表委員をやった経験
・高校時時代に数理の翼で一流の人たちとの交流の心地良さ
・大学時代に塾で責任者として仕組を作った経験
・TABIPPOでリーダーとして背中で見せた経験

振り返っていると
「将来自分は起業をして、一流の経営リーダーとして日本のトップレベルで行くんだ」
と直感的に感じた

でも今は特に何かしたいことがあるわけではない
それがない以上すぐに起業したいとは思わない

じゃあまずは、
・経営者が何を考えているのか?
・経営するとはどういうことなのか?
を知ろうと思った

そこで選んだのが経営コンサル
エスネットワークスという、財務系の経営コンサルティング会社
100人〜200人程度の中小企業に対し、常駐型の実行支援をしている
ここであれば、
・クライアントの経営陣とも密に接して経営リーダーを感じられる
・仕事の中で経営スキルも身につきそうだ
と感じた

https://cutt.ly/XeREmzu

たんたんと就活が終わったように書いているが、実は自分の本心を見つけるのにめっちゃ苦労した
絶対内定という書籍の自己分析ワークシート100枚を5周やった
エスネットワークスに辿りついたのも、入社前年の11月でギリギリの時期
10月に別の会社の内定式に出ていて、そこから違和感を感じて就職活動を再開した
入社まで学生は自由の身とはいえ、辞退した企業には申し訳なかったと思う

大学院3年目に2度目のTABIPPOの活動
広報統括ではなく、副代表の役割だった
ここでは副代表の難しさを感じた
代表、副代表ってこれと言った実務を持たない
だから何をすべきかの判断が難しい

これまではどこにいても方向性はすでに与えられていて、その中で自分で考えて実務で成果を出すという環境だった
そこでは自分が動いて成果を出して、背中で見せれば自然と人はついてきた
でも代表/副代表の仕事は、ビジョンを示してメンバーの士気を高めるもの
リーダーとしての人格や、ビジョンと日々の行動との整合性、育成スキルが問われると感じた

正直、副代表としての機能はあまりうまく果たせたとは思っていない
このときも集客数で背中で見せるリーダーシップを発揮していた
「ビジョンを示せるリーダになること」
ここに今後の課題を強く感じた

修士論文についても一応記載(笑)
修士論文への意欲は大学時代と変わらず
全くやる気が起きなかった
好きじゃないことに力を入れていいほど人生は甘くない
そう割り切って、なんとか卒業できるギリギリの論文を執筆した
TABIPPOの活動とも重なり、論文発表はてんやわんや
発表スライドの8割を教授に作成いただき、なんとか卒業までこぎつけた
本当にありがとうございます!

【パート3】会社員時代

へ続く

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